「秘密基地を守れ!」
〜アムルオーブの子供たち〜

 

 

「すっかり日が暮れちまったなぁ」

行商人は急いでいた。
赤と青、二つの月が密やかに並ぶ夜。
そう、夜である。
大抵の人間が、うまい食事と暖かい寝床のある我が家に帰っていてもいい時間。
前の町での売れ行きがあまりに良かった為、長居しすぎたのが良くなかった。
これは野宿もやむなしと覚悟していた彼の目が、ぽつりと浮かんだ人家の明かりを見つけてほっと息をつく。

「もし、すいません。
どなたかいらっしゃいませんか?
私は旅の者ですが、一夜の宿をお願いできないでしょうか」

暗くてよくは見えなかったが、屋敷といっても良いほどの大きな家。
数回呼びかけ、暫く待っても返事がないので、彼は扉を動かしてみた。
大きな軋みを上げて開いた扉の向こうは、闇ばかり。

「あの、どなたか……」

そっと覗いた彼の目に入ったものは、小さな明かり。
そして少々の焦げ臭い匂いだった。明かりはどうやら、焚き火らしい。

「お客さんだ」

「お客さんだー」

その焚き火を囲む小さな影たち。
十人以上はいるであろう、その影達は明かりにゆらゆらとその身を揺らし、彼を囲むように寄ってくる。

「おじさん」

「ぼくたちと遊んでくれるの?」

焚き火の明かりだけという暗がりの中、影達に囲まれて。
彼は肝をつぶしかけたが、影達の声が子供のものだという事が理性を立て直した。
よく見れば、背丈も小さいものばかりだ。

「坊や達、おじさんをおどかさないでくれよ」

「おじさん、僕達のご飯あげよっか?」

彼らの誘いを受けて、焚き火の傍へ近寄る。
食欲をそそる音と匂いが、火の傍の肉の串焼きから漂ってきた。

「はい、どうぞ。
おいしいよ」

「ありがとう、ってのぅぉぉぉお?!」

子供に差し出されたものを何気なく受け取って、彼はそれを放り出してしまった。
床に転がったそれは、頼りない明かりにその影を揺らめかせる頭蓋骨だったから。

「だめだよ、そんな骨。
お前が肉を全部食べちゃったんじゃないかー。
おじさんはもっとこっちの串焼きの方が好きだよね」

「何言ってるのよ、肉が骨にこびりついているところが美味しいんでしょ!」

「小さな骨の方が食べやすいよ、おじさん。
ばりっと割って中身をちゅーっと吸うとおいしいんだ」

わらわらと子供達が彼の周りに集まってくる。
皆一様に頭からすっぽりシーツのようなものをかぶり、目の辺りに穴があけてある。
シーツの下から出た小さな手には、串焼きがあったり、骨があったり。
焚き火の周りに座っている子供達も、みな骨をしゃぶっていた。
極めつけは、奥の真っ白い山の頂に座った子供が手を振った時にそれが崩れ落ち。
様々な形の骨が、明かりにその姿を晒した事だった。

「な、な、な……」

「おじさん、僕達のおススメ食べてくれないの?」

「ひどぉーい。これ美味しいのにぃ」

彼がじりじりあとずさりすると、子供達もどんどん包囲網を狭めてくる。
望んでなどいないのに、彼の耳はとどめの一言を捉えてしまった。

「このおじさんも、前に来た女の人みたいにしちゃおっか」

「さんせー」

「でも、このおじさん結構年いってるみたいだしー、お肉かたいかも」

「スープにしてことこと似れば、柔らかくなるよぉ」

彼の周りは、子供のけたけたと笑う子供達の声でいっぱいになった。
そろそろと伸ばした手が扉にあたり、ばたんと外に開く。
外から差し込んだ月明かりが、小さなバケモノ達を照らし出す。
ゆらゆらと蠢く、シーツの群れを。

「ひ、ひ、ひぃやぁーッ! バケモノぉー!!」

彼は夢中で立ち、こけつまろびつ外に出る。
走って走って、とにかく走った。
暖かい食事も、乾いた寝床も、もうどうでもよかった。

 

◆◆1◆◆

 

 銀河の真っ暗闇に散らばる数多の星のひとつ、惑星Zi。
特有の環境下で、ゾイドと呼ばれる金属生命体を育むその星では、幾度となく戦争が繰り返されてきた。
堅固な天然の装甲と強烈な力、鋼の体に宿る命を、人類が兵器として活用しないわけはなかったからだ。
いくつもの戦争で、たくさんのゾイドとその乗り手が戦場を駆けた。
世は死を呼ぶ魔獣――デスザウラーにまつわる戦いが終わりを告げて、
人々がようやく平和と安息を享受できるようになった時代。
その争いに浅からぬ因縁を持つ少年と少女、彼らと行動を共にするゾイド達。
一行は、戦争の表舞台から姿を消し、どこへ行くでもない、根無し草の毎日を送っていた。

「ねぇレイヴン、どうしてこんなに路銀が少ないのさ?」

「前立ち寄った町で、食料と水を買い込んだからだ」

「で、でも!
デスザウラーを倒した後、君の軍属時代の給料を全部、銀行口座から引き出したんだよね?」

「ああ」

「結構いっぱいあったよね?
まぁ五年くらいは、暮すに困らないくらい」

「暮らし向きにもよるがな」

レイヴンの言葉に、リーゼはもう一度全財産を確認する。
ちゃりんちゃりんと、小さな布袋の中で小銭が澄んだ音を立てた。
ため息をコーヒーと一緒に飲み干して、リーゼは袋をレイヴンに投げた。

「何をする。
仮にも全財産だぞ」

「そんなに軽くてどうするんだよ!
今の食料と水が無くなったら、なんとか一週間食いつなげるぐらいしかないじゃないか!」

「それだけあれば、十分だろう。
足りなければ、これから稼げばいい」

「君って結構、計画性がなかったんだね」

毒づくリーゼを歯牙にもかけず、レイヴンは食器の後片付けをすませて、さっさと寝る支度を始めた。

「……何かと初期投資は高額になるものだ。
服と身の回りの品二人分に、ジェノブレイカーを黒く塗り変えて、光学迷彩一式も必要だったからな。
必要最低限のものを買っただけだ」

「必要最低限ってね、君……今更こいつを黒く塗り替えたくらいで、目立たなくなったりするかなぁ。
むしろ、パーツ屋っていう目撃者を作ってるじゃん」

あまねく大地に夜の帳を下ろす夜の闇が、彼らの傍のものだけ身じろぎした。
低い唸り声と、その闇に灯る光。
彼――と呼ぶべきかどうか定かではないが――問題のゾイド、ジェノブレイカーである。
以前は血のような真紅の体色をしていたのを、レイヴンがゾイドのパーツショップに金を払って黒く塗り替えさせたのだ。
彼らの逃亡生活には不可欠だが、目立ちすぎる機体を少しでも誤魔化そうとして。

「ないよりか、あった方がいいだろう。
整備に塗り替え、口止め料も込みで相場の3割引だと言っていた」

「君、いつも軍か自分で整備してたんでしょ、ゾイド。
相場なんて知ってるの?
ぼったくられてたりして」

「ずっと銃を頭につきつけておいたが、それでもふっかけられていたのか。
失敗したな……」

「あー、もういいよ……」

リーゼの頭上に広がる夜空、闇に散らばる星という名の宝石も、彼女の心を慰めてはくれなかった。
なるべく人目につかないように進み、暗くなったら野宿。
ここ一年ほど続いている、彼らの日常光景だった。
屋根のあるところで寝られる事の方が少ない。

「今はもう春だ。
金がなくても食い物などそこらにいくらでもある」

ぶっきらぼうにそう言って、レイヴンは毛布に包まって横になった。
すると、黒いオーガノイドがそばによってきて尻尾を丸めて寝転び、彼はそれを枕代わりに寝入ってしまう。

「シャドーはほんとに献身的だよねぇ。
僕、尊敬するよ」

リーゼの言葉に、黒いオーガノイドは頭を少し持ち上げて答えた。
ため息をついた彼女の元へ、青い体色のオーガノイドが歩み寄り、鼻をすり寄せてくる。

「ありがとう、スペキュラー。
君はいつも僕の気持ちを分かってくれるんだよね」

リーゼはスペキュラーの頭をきゅっと抱きしめて、ゆらゆらと揺れる焚き火の炎を眺める。
既に食事は終わり、最初の見張りは彼女とスペキュラーの役目だった。
レイヴンと共に、英雄バン・フライハイトに協力してデスザウラーを倒しはしたものの。
あのまま、あそこにいる訳にはいかなかった。
底抜けにお人よしなバンの事だから、元々は敵だった自分達の処遇もまじめに考えてくれるだろうが。
レイヴンとリーゼはそれをよしとしなかった。
バンに借りを作りたくなかったし、これからやってくるであろう、平和な世を自分がただ享受してもいいとも、思えなかった。
だから、共に来るかというレイヴンの誘いに乗り、逃亡生活とあいなったのだが。

「僕がこれから何をすべきか、とかいう哲学的問題より、やっぱり明日のメシだよねぇ……」

彼女のため息は夜の闇に溶けて、消えた。

 

◆◆2◆◆

 

 アムルオーブは辺境の村である。
村で取れた農作物や畜産物を、中央の都市へ送るゾイドの定期便は存在するものの、
それ以外は時たま行商人が来るくらいののどかな村だ。
それにゆえに、旅の人が村に立ち寄る事はそうそうない、とても珍しい事であった。
村の人間たちの注目を――特に子供達の――を集めてしまうくらいに。

「まぁ、先の戦乱でお住まいの教会から焼け出されて?」

「そうなんです。
身寄りのない私達を引き取ってくれた神父様も、孤児院で一緒に暮らしていた他のみんなも、その火事で……」

青い髪の少女は、そう言って目を伏せた。

「皆のお葬式をする時手伝って頂いた役所の方が、神父様にはお姉様が一人いらっしゃると調べて下さって。
神父様が残してくれたゾイドで、お姉様に遺品をお届けしに行くところなんです」

「それそれは、さぞかしお辛かったでしょうね……」

「あーあ、ママったらああいう話にめちゃくちゃ弱いのよね」

シリアは家の影に隠れて、ぼろぼろと涙をこぼす母と、その前に立つ旅人二人組をじっと観察した。
二人とも年の頃は十代後半といったところで、こざっぱりした身なりをしている。
青い髪の少女の方は、ベージュのシャツに薄緑のジャケットを着込み、
濃紺のズボンの足元はしっかりした革のブーツで固めていた。
少年と見まごうような髪の長さと中性的な容貌をしているが、
控えめな声と丁寧な物腰は、育ちの良いお嬢さんと言っても語弊はないだろう。
シリアがじっと観察しているうちに、青い髪の少女はシリアの母に水と食料を分けてもらう約束をとりつけ、
代価を払ってそれを受け取っていた。
世間話を続けるうちに、話題は今夜の宿のことに移っていく。

「よかったら、ウチにお泊りになりませんか?
今日はとれたばかりの野菜でシチューを作る予定なんです」

「いえ、そんな。食料を分けて頂いたのに、これ以上ご迷惑をおかけする訳には……
あの、村の外れにある大きなお屋敷なんですけど。
あそこにはどなたかお住まいなのですか?
もし空き家でしたら、私達あそこで一夜を過ごさせていただこうかと――」

「あそこはダメーっ!」

思わず飛び出してしまい、シリアはつんのめって転びそうになる――が、誰かに受け止められた。

「あ、ありがと……」

転びそうになったシリアを受け止めて、立たせてくれたのは少女の横に立っていた少年だった。

「し、シリア!
すいません、娘がご迷惑を……」

「いや」

少年は言葉少に答えたが、それきり黙ってしまった。
黒髪黒瞳で、シリアを受け止めた手にも黒皮の手袋をしている。
薄茶色のマントの隙間から覗く足もまた、黒いズボンに包まれていた。
二人とも容姿端麗と言っても差し支えはなかったが、朗らかな印象の少女とは違い、
少年の方はどこか近寄りがたい雰囲気を持ち合わせていた。
研ぎ澄まされた刃も似た、鋭利なそれを。

「可愛い名前ね、シリアちゃん。
これ、あなたのでしょ?」

青い髪の少女が、転びかけた拍子にシリアの頭から落ちた花の冠を拾ってくれる。

「ありがとう」

「ごめんね、兄さんは神父様が亡くなってからあまり喋らなくなってしまって。
でも、怖い人じゃないのよ」

「お兄さん……なの?」

「ええ。
血は繋がってないけど、私達一緒に神父様に引き取られて、それからずっと同じ孤児院で育ったの。
昔、まだ私達が子供だった頃ね、エゼル兄さんは花の冠をよく私に作ってくれたわ」

意外な可愛らしいエピソードを聞かされて、シリアが少年の方を向くと。彼はぷいっとそっぽを向いた。

「やだ、兄さんたら。照れてるのかしら。
ああそうそう、さっきのあそこはダメ、ってどういう事なの?」

少女に聞かれて、シリアはえへん、と咳払いをした。
何も知らない兄妹に、話さなければならない。
あそこはだめなのだ。どうしてもだめなのだ、と。

「始めまして、旅人さんたち。
私、シリア・ウィルリード。
今年八歳になる乙女よ。
私がダメって言ったのは、あそこにとってもこわーい、お化けが出るからなの!」

シリアの言葉を聞いて、兄妹は顔を見合わせた。
やはり、子供の言葉では信じてもらえないようだ。
だが、大人の言葉なら違うはずだ。
あの時脅かしてやったのは、立派な大人なのだから。

「ごめんなさいね、娘はあの話を真に受けてしまって……。
いえね、つい先日、本当に一週間くらい前の話なんですけど……」

シリアは母が兄妹に屋敷の噂を話すさまを、嬉々として見ていた。
一週間程前、一夜の宿をと屋敷に足を踏み入れた行商人が、
人骨をしゃぶる化け物に食われそうになり、ほうほうのていで逃げ出した事。
行商人の言葉の真偽を確かめようと、村の大人達が昼間屋敷に向かうと、そこには誰もいなかった事。

「ごめんね、旅人さんたち。
でもあそこに人を入れる訳にはいかないの」

シリアはそう呟くと、友達にあげると言ったら母が焼いてくれたクッキーを持ち、仲間のもとへと走った。
自分達の大事な秘密基地――村はずれの屋敷を守る作戦を立案する、会合に出席する為に。

 

◆◆3◆◆

 

「それで?
昨日の作戦会議でお前が言ってた二人組、結局明日の朝に来る事になっちまったのか?」

「そうなのよ。
なんとか昨日は、うちに泊まってもらえるよう私ががんばったんだけど。
そんなにお世話になってばかりじゃ悪いから、村の皆さんを困らせているお化け屋敷を調べてきます、
って事にいつの間にかなっちゃってたのよね」

状況を説明するシリアの前で、秘密基地防衛隊の隊長――フォル・ミュートスは腕組みをして眉間にしわを寄せた。
……とは言っても、顔の周りを飛び回る羽虫を追いやりながらだったので、
深刻さを演出するまではいかなかったが。

「それにえらく感動しちゃった村長さんが、
大人達からちょっとずつお金を集めて謝礼を出そうって話になったらしいわよ。
路銀に困ってるだろうから、って」

「へぇー。あのケチなじいさんがね。
なんつったっけ、その二人組」

「お兄さんがエゼルさんで、妹さんがアイリンさんよ。
なぁに? もう無いわよ」

シリアはフォルが差し出した手をぱしんと叩き、もう片方の手に持った紙袋を逆さにして振ってみせた。

「あーあー、もう終わりかぁ」

そう言ったフォルがきょろきょろと辺りを見回すと、
車座に座った仲間たちは慌ててクッキーを口の中に押し込んだ。

「えー、アムルオーブ秘密基地防衛隊の諸君!
今日も会合にご出席ありがとう。
親の目を盗んで出てくるのはさぞかし苦労したことだろう。
だが、またしても我らが基地に危機が迫っている。
作戦参謀の情報によると――」

「隊長、作戦参謀じゃなくて、奥さんて呼んであげないんですかー」

「そうですよー、いつもらぶらぶのくせにー」

「だっ、黙れッ!」

村外れの古びた屋敷。
椅子から立ち上がって演説をしていたフォルは、防衛隊の隊員達からあがった野次に、血相を変えて怒鳴った。

「あーあ、シリアちゃんかわいそう。
昨日の一生懸命隊長のために、ってクッキー手作りしたのにー」

「気付いてくれないんだもんねー」

「ちょ、ちょっと!エミリ、スージー!
それは秘密にするって、約束……」

慌てて立ち上がり、シリアは昨日クッキー作りを手伝ってくれた友達のもとへ走っていく。

「大丈夫よーぅ、シリアちゃん」

「私たち、シリアちゃんの恋を応援してるものー」

「何が大丈夫なのよっ!」

昨日フォルはシリアの母が作ったクッキーを、うまいと言って五枚も平らげた。
そんな彼に喜んでもらいたくて、クッキーを作ったシリアではあったが。
なんとなく照れくさくて、自分が作ったとは言い出せなかったのだ。
案の定、彼はまたシリアの母が作ったと思ってクッキーを食べた。……七枚も。
もしかして、まずかったのだろうか?
こわくてフォルの方を振り向けなかった。

「えー、とりあえず諸君。
我らは外敵からこの基地を隠し、守らねばならない!
今回の計画は、こうだ!
一班は通常のG作戦の準備。
二班は基地内外に仕掛ける罠の準備だ。
そして三班は問題の二人組の情報収集!
各自準備が終わったら、夕方にまたここに集合だ。
そこで最終的な行動計画を発表する!
分かったな!」

「イエッサー!」

「秘密基地防衛隊、隊長と作戦参謀の愛の巣を守る事を誓います!」

「変なこと誓ってんじゃねぇ!」

秘密基地防衛隊の会合は、隊長の悲鳴のような怒鳴り声を幕に、お開きとなった。

 

「今日のクッキー、お前が作ったのか?」

「うん。
ごめんね、フォル。
お母さんの作ったクッキーの方がいいかと思ったんだけど、あれから忙しくてお母さんクッキー焼いてくれなくて。
みんなに配る分を焼こうって、エミリとスージーが手伝ってくれたの」

秘密基地からの帰り道。
基地から帰るところを誰かに見られては大変なので、隊員だけの秘密の道を通って帰るシリアとフォル。
秘密の道といっても、その実獣道のようなものだったりするのだが。
それでもシリアはこの道が大好きだった。
この道を通る時は大抵周りには誰もいない。
防衛隊はぞろぞろ同じ道を通って帰るような、バカな真似はしないからだ。
周りに誰もいないという事はつまり――フォルが自分と手を繋いでくれるという事なのである。

「なんでお前が謝るんだよ」

「だ、だって、フォルお母さんの作ったクッキーの方が好きだと思って、言わなかったの。
お母さんが作ったクッキーだと思ってたから、七枚も食べたんでしょ?
それにクッキーとか、誰が作っても味なんか変わらないと思うし」

「べつにそんなこと、――――」

「え?」

獣道をがさがさかきわけていく音がじゃまで、彼の言葉は良く聞こえなかった。
それから家につくまで、ずっとフォルは黙っていて。
シリアが話しかけても答えてはくれなかった。

(やっぱり、おいしくなかったのかな……)

「シリア、シリア!」

「え? あ、もう着いちゃったの?」

「何ぼーっとしてんだよ。
もうすぐお前のうちだぞ」

考え込んでいるうちに、もうシリアの家の前だった。
フォルは怒ったようにそう言って、彼女の手を離してしまう。

「じゃ、じゃあねフォル。
今度お母さんにクッキー作ってくれるように頼んで――」

「シリア!」

そう言って、シリアが歩き出そうとすると。
フォルに呼び止められた。

「な、なに?」

「……お前のクッキー、うまかった。
これからも、頼むな」

耳に届いたその言葉が、一瞬、信じられなかった。

「ほ、ほんとに?
フォル、ありがと!
わたし、明日も明後日も、これからずっと作るね!」

「ば、バカ!
そんなに作りすぎたら、作戦会議をやってる事、ばれるだろ……」

 

◆◆4◆◆

 

 アムルオーブに来てから三日目の朝。
レイヴンとリーゼの二人は、問題のお化け屋敷を調べるべく、ゾイドを隠しておいた場所に向かっていた。

「でもさ、お化け屋敷ごときに、本気の僕達の力が必要なの?」

「いや。
買った食糧を、ジェノブレイカーに積み込むついでだ」

彼らは光となってゾイドに融合合体、その力を何倍にも高めるオーガノイドを二体も伴っている。
しかもシャドーの力で進化したジェノブレイカーは、惑星Zi広しと言えども一体しかいない珍しいゾイドだ。
オーガノイドとジェノブレイカーの詳細は軍関係者しか知らないとはいえ、
そんなもので村のそばまで乗りつけたりしたら目立つ事この上ない。
人の目というものに無頓着なレイヴンも、それぐらいは分かっているようだった。
レイヴンが懐から取り出した携帯端末のスイッチを押すと、
崖の壁面に展開されていた光学迷彩が解除され、ジェノブレイカーの黒いボディが露になる。

「スペキュラー、昨日の夜来ただけでごめんね」

リーゼが相棒に駆け寄ると、スペキュラーは口を大きく開けて挨拶した。

「リーゼ」

「はいはい、荷物ね」

リーゼはレイヴンの呼びかけに応え、荷物を手渡す。彼は黙々と積み込み作業を続けた。
ジェノブレイカーは尻尾を高く持ち上げた姿勢で歩く、二足歩行の恐竜型ゾイドだ。
遠い昔に星の海からやってきた漂着者達は、ゾイドを故郷の星の生き物になぞらえて分類した。
ジェノブレイカーの基本的なフォルムは、肉食恐竜のそれであるが。
肩部に装備された盾状の装甲と、首の後ろから突き出したウィングスラスター、
全身に付加された様々な武装がこのゾイドをよく特徴づけ、同時に戦闘に特化している事を示していた。

「おい」

「はいはい、僕も乗るんだよね」

ジェノブレイカーの尻尾とスラスターの間に設置されたコンテナに荷物を積み込むと、
リーゼはレイヴンに手を引かれて操縦席に入った。

「最終的にはあの屋敷にお化けがでないようにしないと、いけないんだよね。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはまさにこのことなんだろうけど、
屋敷で迎撃準備をしている子供達はどうするのさ?」

「あいつらの備えは、『いつものG作戦』と『屋敷内外の罠』でいいんだったな?」

「うん。
あと僕達をこそこそ嗅ぎまわってたみたいだけど、そんなことで僕の天才的な演技にボロがでるわけないし。
あ、偵察してきたのは僕の虫達なんだから、感謝してよね」

リーゼの服の胸元からぶーんという羽音と共に、小さな虫が飛び出してくる。
ジェノブレイカーに比べれば小さすぎる羽虫達ではあったが、彼らもれっきとしたゾイドだ。
彼らはリーゼの意に従って動き、状況を主人に伝える偵察や、人間やゾイドを一時的にその支配下に置くことすらできる。
秘密基地防衛隊の秘密会議、昨日の模様は虫を通してリーゼとレイヴンに筒抜けであった。
リーゼは現生人類よりゾイドとの精神的リンクが強かった、と言われる古代ゾイド人の生き残りであり、
彼女の力をスペキュラーが増幅補佐する事で可能になる、離れ業だった。

「あのさ、話がそれだけなら外で済ませてもよかったじゃん。
僕はいつもみたいにスペキュラーの背中に乗せてもらえばいいしさ」
複座式ではないため、かなり狭苦しいコックピットでリーゼぼやいた。
彼女のいる位置はレイヴンの座っているパイロットシートの後ろの、僅かな隙間である。
ジェノブレイカーの移動方式は背部のスラスターで飛ぶように滑るように、
というぐあいなので乗り心地はさほど悪くは無いはずだが、それはきちんと操縦席に座った場合のことである。
同じお尻が痛い思いをするのなら、恐竜の子供のような姿をした、気心の知れた相棒の方がマシだとリーゼは呟く。
オーガノイド達もジェノブレイカーに伴走しているはずだからだ。

「では今すぐ降りるか?」

「……レイヴンってばー、もしかして僕と一緒に乗りたかったんだったりしてー?」

リーゼがそう茶化した途端がくんと制動がかかり、彼女は前に投げ出されそうになった。ジェノブレイカーが急に減速したのだ。

「何やってんだよ、危ないじゃないか!
人が乗ってる時はもっとこう……って、もしかして君、動揺してたりする?」

リーゼが黙して操縦桿を握るレイヴンを後ろから覗くと、ふいっと彼はそっぽを向いた。

「なーんだレイヴン、君にも結構可愛いところがあるじゃないか。
まるであの時の微笑ましいお子様カップルみたいだねぇ。
シリアちゃんともう一人、男の名前は知らないけど」

リーゼは例の屋敷を偵察した時に目にした、お子様カップルの事を思い出した。

「ねぇレイヴン、あのお子様カップルときたら、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいのらぶらぶっぷりでさぁ。
君にもあんな可愛いとこがあったなんて、僕は、とても……ああ、もうがまんできない!」

リーゼは内からこみ上げる笑いの衝動を抑えきれなくなり、大笑いしてしまった。

「ジェノブレイカーでこのまま行けば、罠も何も関係あるまい」

彼女の笑いの発作がおさまるのを待っていたのか、絶妙なタイミングでレイヴンが口を開いた。

「あのさ、レイヴン……今更そんなかっこつけてもムダだと思うんだけど。
あ、それでね、屋敷に入る時は、僕から提案がうわ!」

ジェノブレイカーが急加速し、今度は後ろに倒れこむリーゼ。

「ちょっ、さっきから何なんだよ!
大体もっと静かに動かせないのひゃ!
うわ、ちょっとやめ……!」

それから数回、急加速と急停止を繰り返してジェノブレイカーは足を止めた。
シートベルトで席に固定されているレイヴンは涼しい顔だが、コックピット内でシェイクされたリーゼはふらふらだ。
カメラアイが捉えた外の風景を映し出す、操縦席を取り巻くスクリーン。
そこには既に、丘の上に建つ屋敷の姿があった。
目的の地はもうすぐだ。

「提案があるのだろう?
聞いてやる。……話せるようならな」

ベルトを外し、リーゼを振り返るレイヴンの顔には、僅かな笑みが浮かんでいた。
言葉もどことなく得意げである。

「ふん、これくらいで僕がへこたれると思ったら……大間違いだからな。
それから、僕達はあくまでエゼルとアイリンなんだからね。
間違って本名で呼んだりしないでよ?」

これだから男ってヤツは、いつまでも子供なんだから!
そう毒づきお尻をさすりながら、リーゼは作戦を告げるべく口を開いた。

 

◆◆5◆◆

 

「隊長、奴らが来ました!
二人揃って堂々と正面から!」

斥候からの知らせが、フォルと共にいたシリアの耳にも届く。
シリアは立ち上がり、口を開いた。

「正面から堂々と来るなんて、いい度胸ね。
みんな、あの二人に、私達の力を教えてあげましょう!」

おお、と秘密基地防衛隊の面々が拳を突き上げた。

「作戦参謀の言葉を聞いて、みんな士気は十分のようだな。
やるぞ、みんな!
子供が大人に敵わないなんて事はないって、見せてやろう。
戦闘、開始だ!」

うおおおおお! と子供達のときの声があがる。

「我ら、隊長と作戦参謀の愛の巣防衛隊!」

「必ずや、ここを守り通す事を誓います!」

「つーか、勝手に隊の名前変えてんじゃねぇよ!」

屋敷の二階、作戦会議室から飛び出していく隊員たちの背中を、フォルの怒鳴り声が追い立てた。

「シリア、俺達も行くぞ」

「うん!」

シリアはフォルが差し出した手をとり、装具室へ。
頭が通るように穴をあけてあるシーツと、大きな木の葉に穴を開けた仮面をかぶる。
手に取るのは、壁にかけてあるパチンコだ。『G作戦』とはそのものずばり、ghostの略であり、
ここにやってくる部外者に自分達の正体を知られずに、不気味さを演出することを主眼としている。
夜でなくてはいささかその効果が減じられてしまうが、昼間には昼間のやり方がある。
階段を下りて、一階へ。外が見える窓の傍に行く。

「戦況は?」

「隊長……それが、あいつら結構手ごわくて」

「姿は見られていないだろうな?」

「はい、それはだいじょうぶです。
では、自分は持ち場に戻ります」

フォルの問いに言葉を返す斥候の声は、苦々しいものに満ちていた。
シリアが窓から外をうかがうと、昨日半日かけて屋敷の周りに仕掛けた罠は、
外敵の撃退に全くと言っていいほど役に立っていなかった。
彼らは落とし穴にも、きっちり結んでおいた草にもひっかからない。
細紐と連動して、頭上から虫やミミズやら小石やらを落とす仕掛けは、次々と紐を切られてしまう。
姿を隠した隊員たちが時折パチンコで攻撃するも、兄エゼルの方は涼しい顔でかわしてしまう。
彼が玉に当たったのは、妹をかばった時だけだった。

「兄さん、私こわいわ……だってこのお屋敷、人を食べる化け物がいるんでしょ?」

「そんなに強い化け物が、ちんけな罠を仕掛けたりするものか。
ここには誰か――人間がいる。
俺達や村の人を追い払おうとしているんだ」

罠はあらかた無効化され、ついに二人は屋敷の表玄関にたどり着いてしまう。

「でも、やはりお前を連れてきたのは失敗だったな。
ここは危険だ、お前は村に帰れ」

「いや!
一人にしないって言ったじゃない兄さん、ずっと一緒にいてくれるって――」

シリアとフォルがいる場所からは、二人の兄妹がそう言い争う様がよく見えた。
シリアは、二人の言葉と様子に、違和感を覚えた。
女のカンとでもいうべきものが、彼女に注意をうながしている。

「あの二人、変よ。
兄妹って言ってたけど、あれじゃまるで……恋人同士みたい」

「そうかぁ?
俺には兄ちゃんの台詞が、ものすっごい棒読みに聞こえるけどな」

侵入者が屋敷へ到達する事を許してしまった。
作戦Aの第二段階へ移行しなければならない。
フォルとシリアは、玄関扉を監視できる二階の廊下まで移動し、床に腹ばいになってその時を待った。

「わぁ、中は結構広いのね。
それにちょっと古びているけどすてきなお屋敷だわ」

「おい、あんまり歩き回るなよ。
どんな罠が仕掛けられているか分からないからな」

兄から注意されたにも関わらず、アイリンはきょろきょろと珍しそうに辺りを歩き、
玄関ホールの大鏡に姿を映してはしゃいでいる。

「ねぇ、兄さん。
こんなすてきなお屋敷で、ずっと一緒に暮らせたらいいのにね」

「ああ」

兄妹はしばらく辺りを見ていたが、そろって階段に腰掛けた。
ちょうど、フォルとシリアのいる位置からは向かい側になる。

「あいつらに追いつかれない為には、村の人たちにお金を貰う事が絶対必要だ。
俺一人なら身軽に動けるし、作業も素早く終わる。
やはりお前は、村に帰っていた方がいい」

兄の手が、妹が伸ばしたそれを握る。

「あれ?
今の台詞だけは、あんまり棒読みじゃないような」

「ちょっと、静かに!」

不思議そうな言葉を漏らすフォルの手の甲を、シリアはぎゅっとつねった。

「私だって、兄さんの事が心配だもの……。
私だって兄さんの力になりたいのに、いつだって一人でやろうとするんだから」

兄と妹は見つめあい、兄の口が開く。

「お前のことが、心配なんだ」

エゼルの言葉に、シリアは自分が言われたわけでもないのに急にドキドキしてきた。
隣のフォルを見ると、彼も兄妹を観察するのに夢中のようだった。

「え、ちょ、れ」

慌てたようなアイリンの声に、ふりむいたシリアだったが。
ぽかん、と口を開けるはめになった。
アイリンの顎にエゼルの手が添えられ、少し持ち上げられており、二人の唇が、重なり合っていたからだ。

「しししししシリア、ああああれ」

兄妹を指差してどもるフォルを、指と口の動きだけで黙らせ、シリアはじっと兄妹に見入った。
自分達が潜んでいるように、玄関ホールを囲む空間には、他にも何人かの隊員がいるはずだ。
固唾をのんでじっと見ている雰囲気が感じ取れた。

「あれって、ちゅーだよな、ちゅー」

フォルの呟きに、シリアは舌打ちした。
口を塞ぎたいのは山々だが、今は顔に木の葉の仮面をかぶっているのだ。
かさとでも音がしようものなら、この素晴らしいラブシーンの邪魔をしてしまう。
いつか見た、村長の家にあった本にこんなシーンがあった。
愛し合う恋人達の――キスだ。
キスを直視するのはちょっと恥ずかしくて、シリアは目をそらした。
すると、二人のつながれた手が目に入る。
黒い皮手袋のエゼルの手と、雪のように白いアイリンの手はしっかりとからみあい。

(な、なんだかキスシーンよりもこっちの方が恥ずかしいような……)

見ていたいような、見たくないような。
シリアの中で二つの気持ちがせめぎあった。

「れ、兄さん?」

「そんなに心配しなくても大丈夫だ。
どんなやつが来ようと、俺がお前を守る。
誰にも渡したりはしない」

シリアが迷っているうちに、もうラブシーンは終わってしまったらしい。
兄の背中から少しはみ出して見えるのは、妹の真っ赤になった顔だ。
エゼルがその言葉を紡ぐ声は力強く、同時に優しさに満ちていて。
彼がシリアを助けた時とは、別人のようだった。

(あれは、妹をおもう兄の声じゃないわ……っ!
愛しいひとをおもう、恋人の声よっ!)

つまり、あの二人は先日話していたようなただの兄妹ではないのだ。
追われるだの渡さないだの、きっと結ばれたくても許されない、
でも二人の愛はそれゆえに深く激しく――そんな恋人同士なのだ!

「お前、鼻息荒いぞ?」

「うるさいわねっ」

「誰だ!」

激しい誰何の声。

「な、なん……」

何なのよ、と続けようとしてシリアは自分の体が強張るのを感じた。
エゼルがじっとこちらを睨んでいた。
ただそれだけなのに、シリアの背をぞくぞくと寒気が走った。

「その声……シリアちゃんなの?」

二度目の誰何の声に、シリアは猛烈に自分の行いを恥じていた。
人様のラブシーンを見て緊張し、自らの身のうちを走る興奮が、口から声となって出てしまい。

「この屋敷に巣食う化け物とは、お前達のことか」

結局、こうして作戦を台無しにしてしまったのだ――。

 

◆◆6◆◆

 

「でてこい、ガキども」

「に、兄さん」

彼は怒鳴ってなどいなかったが、凄みというか、威圧感のようなものがシリアのもとまでびりびりと伝わってきて、
思わずフォルの手をぎゅっと握ってしまう。

「みんな、集合だ!」

「フォル?」

シリアの手を引いて、フォルが階下へと歩く。
屋敷のあちこちから、シーツのポンチョに木の葉の仮面、といった姿の子供が集まってくる。

「シリアちゃん……よね?
私達食糧を分けてもらったお礼に、村の人たちを悩ませているこのお屋敷を調べようと思って来たんだけど……
これはどういう事なの?」

「この屋敷は、昔はお金持ちの別荘だったみたいで、ちょくちょく人が来ていたんだ。
でも、あの戦争が始まってからはそれもなくなって、終わってからも誰も来ない」

「それをいいことに、お前達は他人の家でお化けごっこをしていたというわけか」

エゼルの言葉にフォルは唇を噛んだ。
秘密基地防衛隊長の周りに集まってきた隊員達は、皆仮面を外した。
彼らにも分かったのだろう。
自分たちが、敗北したことが。

「私達ここを秘密基地にして、時々こっそり集まっていたの。
さすがに全員一度に集まったら怪しまれるから、親をごまかす係を決めてね。
ここが他人にばれそうになると、罠をしかけたりお化けのフリをして追い払っていたんだけど。
だんだん楽しくなっちゃって」

そこまでシリアが言うと、フォルが彼女をかばうように前に出た。

「ここのこと、俺たちの事を村長のじいさんに言うのか?」

「それはお前達次第だ」

エゼルは階段に腰掛けて、フォルを見上げた。

「俺達はただ金が欲しいだけ――お前達はただここを守りたいだけだろう。
正直、お前達の秘密基地がどうなろうと知った事じゃないが、あいつがうるさいからな」

そう言いながらもエゼルは横にいるアイリンに振り向きもしない。
先程キスを交わしていたにも関わらず、ずいぶんとぞんざいな扱いだった。

「アイリンさん、あの、聞いてもいいですか?
お兄さんとは、その――恋人同士なの?」

「やっぱり、さっきの見てたのね……」

「ご、ごめんなさい」

シリアの言葉にアイリンは真っ赤になった顔を手で覆った。

「あなた達に嘘をついたのは、私達も同じだから謝らなければならないわね。
私達の身の上話は、戦争で教会を焼かれて、神父様を亡くしたところまでは本当なのよ。
でもそれから、私達は別々のところに引き取られていくことになったの。
兄さん、話してもいいでしょう?」

「……お前の好きなようにすればいい」

兄は妹の言葉にそっぽを向いた。彼の獲物を狩る猛獣のような威圧感が、一瞬和らぐ。
すねているみたいだ、とシリアは思った。

「兄さんは働き手としてある農村の教会で暮らす事になったわ。
私は戦争で子供を亡くしたご夫婦のところに引き取られたの」

「そいつらがとんだ食わせ者でな。
こいつの知らない間に縁談を進めてやがったのさ。
いかにも自分たちが得をしそうな、金持ちのぼんぼんとな」

「違うわ兄さん、新しいとうさまとかあさまはいい人よ!
ただ、もうお年を召しているから早く私に結婚して幸せになって欲しいって、それだけだったのよ」

「それで、今まで一度も会った事のない男と生涯を共にするのか?
まぁ、お前がボランティア精神に富んでいるのは今に始まった事じゃないが」

この言い草にシリアはカチンときた。

「ちょっと、何よその言い方!
さっきまでは守るだのなんだの言っていたくせに。
彼女のことが好きなんでしょ、愛してるんでしょ?」

ついそういってしまったシリアは、また睨まれるかと体をかたくしたが。
向けられたエゼルの視線は睨むとか威圧感とか、そういったものは全然なかった。
単純に――至極単純に、彼は驚いているらしい。

「あのね、それでシリアちゃん。
お願いがあるの。あなた達が秘密基地を失わず、私達も路銀がもらえる一石二鳥の方法があるんだけど……
それを聞いてもらえないかしら」

「秘密基地防衛隊の隊長は俺だ。
話なら俺が聞く」

「防衛隊とは、また大きく出たものだな。
まぁ、いい。そう身構える事も無いぞ、事は単純だ。
お前たちがここを夜の間使わないようにすればいい。
そうでなければ、誰か部外者が入ってきても追い払ったりせず、物陰でじっと息を潜めていろ」

床に座ったフォルに、エゼルはからかうような顔を向けた。
初対面の時は無口で無表情の印象だったが、妹の為とあらばよく喋り、表情にも変化が生まれるらしい。

「ど、どうしてそんな事、しなくちゃいけないんだよ」

「だって、危ないわ。
子供だけで夜こんなところにくるなんて。
それに、お化けが出るから村の人は気味悪がっているんだし、夜にさえ使わなければ……」

窘めるようなアイリンの言葉に、フォルは猛烈に反論した。

「こんなところだとかなんとか、あんたには関係ないだろう!」

「勘違いするな」

エゼルのたった一言。
それだけで、屋敷の中の空気は冷たく冷え切ったかのように動かなくなる。
シリアはぎゅっと、フォルの服を掴むことくらいしか出来なかった。

「これが対等の取引だと思っているのか?
だとしたらおめでたいことだ。
お前達に選択肢は二つしかない。
昼間だけここを使うか、それとも失うかだ。
俺たちはどちらでも路銀を手に入れることができる。
お優しいあいつのお陰で首が繋がっていると、そう思うんだな」

エゼルの口調は穏やかで、睨みつけているわけでもなかった。
むしろその瞳には、単純作業を黙々とこなす際の退屈さが満ちている。
でもそれは、子供達にある一つの感情を抱かせるには十分だった。
――こわい、と。

「兄さんやめて!
私はそういうの嫌いって言ったでしょ、もう私が頼むから兄さんはどいてて!」

「だがしかし、ガキどもが承服しようとすまいと、やる事は同じだろう」

「いいから!」

妹に言い負かされ、兄はすごすごと引き下がる。
階段から立ち上がって玄関扉に背中を預け、ふんと鼻を鳴らすさまは叱られた子犬のようだ。

「アイリンさん、その結婚するはずだった人に追いかけられているの?」

「そうよ。
結婚式の招待状を出した後、兄さんがゾイドで飛んできてくれて。
『お前が望むなら、ずっと一緒だ』って言ってくれたの。
私本当に嬉しくて……その時、兄さんが好きだって、ずっと一緒にいたいって気がついたの。
もちろん、それは」

「それは兄に向ける愛情じゃなくて、一人の男性に向けるものだったのね?
そりゃ血は繋がってないけど、兄妹なんだし、こんなのいけないわっ、とか思ったけどやっぱり好きなのぉぉ!
ってかんじなんでしょ?」

シリアがアイリンの手を握ってそう力説すると、彼女は何故か一歩後ろに下がった。

「えぇ、えと、まぁその、そうなんだけど」

「つまり駆け落ちね、駆け落ちなのね!」

「まぁ、巷ではそう呼ばれるのかも」

シリアはアイリンのその言葉を聞き、にまー、と笑みを浮べた。
そしてフォルの方へ向き直り、口を開く。

「隊長、出撃前に隊のみんなは私たちの愛の巣を守る、と誓ってくれましたよね」

「え?
あ、ああ……そういえばそんな事言ってたな」

「隊長も、それに賛成ですよね?」

「いや、賛成っつーか、あそこは元々アムルオーブ秘密結社の基地であって、愛の巣なんて名前じゃ」

フォルの額をつつ、と汗がつたった。
もう一押しとばかりに、シリアは言葉を続ける。

「ご賛成、くださいますよね?」

「は、はい……」

フォルががくりとうなだれるのを確認し、シリアは隊員たちに呼びかける。

「みんなー!
私と隊長の愛の巣を守ってくださってありがとーう!」

『うおおおおー!』

隊員たちのあいだからわきおこる拍手喝さい。

「さすがシリアちゃん、隊長の手綱さばきはかんぺきね!」

「今から隊長を尻にしいてるんだもんね!」

エミリとスージーがシリアに走りよってきて、抱きついた。

「アイリンさん、以上の通りです。
私達アムルオーブ秘密基地防衛隊は、あなた方のご提案をお受けいたします」

「は、はぁ……どうもありがとう」

 

◇◇7◇◇

 

 道ならぬ恋にその身を焦がす、エゼルとアイリンの兄妹――もとい、
英雄やら軍やらが探し回っている逃亡者のレイヴンとリーゼは、首尾よく路銀を手にする事ができた。

「アイリンさん、お幸せに!
これ私とエミリとスージーからの贈りものです」

「がんばってね、お姉さん」

「私たち、応援してるから!」

秘密基地防衛隊との取引を穏便に終えた次の日、一行が出発しようと準備していると三人娘が現れた。
彼女達はリーゼに花の冠を贈るためにきたのだという。
ちなみに一行がいる場所は秘密基地のそばであり。
ジェノブレイカーとかシャドーとかスペキュラーとかをみた三人娘は、
戦闘用ゾイドを見るのが初めてなのかやたらとはしゃいでいた。

「見られたのは失敗だったか……」

「こら、そこ!
銃触らない!」

レイヴンが危機感を感じて懐を探ると、リーゼに頭を引っぱたかれた。

「おーい、そこの三人娘!
お昼の準備手伝えって、お前らの母ちゃんが呼んでるぞ!
うわ」

リーゼは三人娘にひっぱられて、花畑に連行されてしまったのでレイヴン一人。
そこへ秘密基地防衛隊長がやってきた。
昨日の今日で、レイヴンに対する畏怖は抜けていないらしい。

「あのぉ、シリアとエミリとスージーがどこにいるのか、ご、ご存知ですか?」

上目遣いでへっぴり腰の少年を見下ろし、レイヴンは黙ってジェノブレイカーのすぐ傍にある花畑を指差す。

「ああ、あれがそうか。
って、あそこにあるの兄ちゃんのゾイドか?
すげー!かっこいいじゃん!」

「かっこいい?」

レイヴンは首を傾げた。戦闘用ゾイドに求められるものは、運動性能、装甲強度、各種兵装との相性、
それに人間が乗る際の扱いやすさなどだ。
外見の美しさなどといったものは二の次であり、
実用一辺倒のものはそれに応じた機能美というものを持ち合わせることぐらいしか、彼は知らなかった。

「あの真っ黒い装甲がシブくてイカしてるよなー!
銀色の大きな爪と、凶悪そうな顔もしびれるぜ」

「そうか」

ジェノブレイカーを黒く塗り替えようと決めたのは彼自身だったから、それを褒められて悪い気はしない。

「それにしても女ってのはどうしてこう、三人そろえばうるさいっつーか、わがままっつーか、
よく分からない事で怒ったりするっつーか……面倒くさい生き物なんだろうなぁ」

「それに関しては、俺も同意見だ」

少年がジェノブレイカーから花畑ではしゃぐ女性陣に目を移して、呟いた言葉に同意した。
リーゼときたらまったく少年の言う通りだったからだ。

「え?
そうなんだ。でもエゼル兄ちゃんだって、アイリン姉ちゃんのこと好きなんだろ?
ちゅーしたくらいだし」

「好き……か?」

そもそも好きという事がどういう事なのか、レイヴンの知識は明確な回答を用意できなかった。
ずっと昔、幼いの頃はもっと身近にあった気がするのだが、
いかんせん彼の中のそういう部分は最も風化が激しい箇所だったからだ。
もともとリーゼが立案した『兄妹ながら道ならぬ恋に身を焦がすフリをして、情に訴える作戦』には、キスの予定などなかった。
しかしあそこは芝居的にああいう事をした方がよかろう、そう思ったレイヴンの行動だったのだが。

「なんだよ、好きでもないのにちゅーしたのか?
駆け落ちしてるんじゃなかったのかよ」

「共にいる必要がある、そういう認識はある」

昨日のあれは芝居でしたと言うわけにもいかず、レイヴンは口の中でもごもごと呟いた。

「まぁなんだ、兄ちゃんもいろいろ大変だろうけど、がんばれ!」

最初のへっぴり腰はどこへやら、レイヴンは少年に足をばんばんと叩かれて励まされてしまった。
一体何を頑張れというのか、レイヴンは理解に苦しんだ。
なので、とりあえずこう言っておく。

「……お前もな。
今から尻に敷かれてる隊長殿」

「なに変なことばかり覚えてるんだよ!
俺にはちゃんとフォルって名前があるんだ、バカにするな!」

少年――フォルは最後にひときわ強くレイヴンの足を引っぱたき、花畑の方へ走っていった。

 

「ねぇレイヴン、どうしてあの時キスしたのさ?」

「アイリンがお望みとあらば、何度でも」

「もうその名前はいいよ……。
まったくあの芝居のくさいことといったら、考えた僕もちょっと後悔したよ」

「おかしな事を言う。
もともとあれはお前がやろうと言い出したんだろう。
ジェノブレイカーで脅せばすむ話なのに」

「あのねレイヴン、いいかげん分かってよ。
僕達が目立っちゃいけないってさぁ」

「喋らせなければいい話だ」

「またそういう物騒なことを」

遠く小さくなっていくアムルオーブを見送りながら、レイヴンはリーゼにぺちぺちと頭を叩かれた。

「狭いのではなかったか?」

「……レイヴンは僕と一緒にいるのがいやか?」

「答えになっていない」

彼が疑問を口にすると、逆に聞き返される。
文句を言ったわりには、今日のリーゼは自分でコックピットに乗り込んできた。
このせまいせまい、空間に。

「君だってどうしてキスしたか答えてないんだから、お互い様だろ」

「なるほど、お前には狭い場所を好む性癖があるのか」

「ちっがーう!」

頭に降ってくる、拳骨。

「でもお前の言い分も認めよう。
狭い空間には閉塞感と同時に、ある種の心地よさがあるな」

誰かが傍にいてくれるのと、同じように――レイヴンは声に出さずに呟いた。
その心地よさを思い出させてくれたシャドーと、リーゼには感謝してもいいかもしれない、と彼は思った。
ちらとリーゼを見ると、彼女は唇を尖らせて視線をそらしてしまう。

「懐も温まったことだし、今度は僕屋根のあるとこで寝たいな!
それにお風呂も」

「目立つ事は好まないのではなかったか?」

「いいだろ別にー。
お風呂に入らないとここにいられないんだもん」

「風呂に入らない事と、お前がコックピットにいることとどう関係があるんだ?」

レイヴンは二つの事柄に大した関連性を見出せないことを、リーゼに問うた。

「君には関係ないだろ!
いいから早く、次の村だか町だかにいけよ!」

リーゼは急に顔を真っ赤にして怒り、じたばたと駄々っ子のように暴れた。

「分かった。可愛い妹が望むなら、そうしよう」

「いもーとってゆーな!」

レイヴンはフォルが言っていた言葉を思い出した。
女というものはうるさく、わがままで、よく分からないことで怒る生き物だと。
いまさら再確認することでもなかったが、ため息が彼の口から漏れた。

「他に何か望みはないか?
愛しいアイリン」

「どうして君は眉一つ動かさずにそういう事が言えるんだ!」

「多芸多才だからだろう」

「もう黙れ!」

レイヴンはリーゼの言葉どおりに黙った。
荒野を走るジェノブレイカーのまわりには、何もなく。
彼女の要望に応える事ができるのは、大分先になりそうだった。

 

おわり

*******************************************************

あとがき

ええと、こんにちは。雷矢です。
文章書きは後書きでも読者の方々を楽しませなければならない、というのを聞いた事があります。
言い訳せず言いたい事は小説の中で全部書け、というのも。
どっちも人様からの受け売りですが。
今まで私が葉月さんにお送りした小説には、後書きというものはつけていませんでしたが、
楽しんでもらえればと書いてみることにしました。
決して、「遅れる」という言葉を超越するくらいに遅れてしまったから、という訳ではないですよ。
……言い訳でした、ごめんなさい。
今回のリクエスト内容は、「レイリーで何か」という事でしたので、
『大人と子供、秘密基地、らぶらぶ』という三つのお題で書いてみました。
お題サイトから、というんではなく一人で勝手に妄想してましたが。
私の中のレイヴンとリーゼのイメージって、『背中合わせ』なのですよ。
そこんとこ、バンとフィーネだったら仲良く手をつないでスキップとかしそうですが、
レイリーがそんなことしたらちょっといやかも。
背中合わせなんだけれども、手ぐらいはつないでそう、という感じがレイリーにはぴったりかと思いまして。
この小説を読んだ皆様に、楽しい時間を過ごして頂ければ、これに勝る喜びはありません。
お読みくださいまして、ありがとうございました。


雷矢さんからいただきました。
レイリー、来ましたーーー!!!
・・・失礼。
なかなか冒険味のある話で編集しながら見入ってしまいました。
うわ〜、キスだー、と若干の興奮もありながら、
あっ、やっぱりレイヴンとリーゼだな、と微笑ましい所も。
うん、やっぱりレイリーはこのぐらいがちょうどいいですね。
しかし、レイヴン君も成長しましたね〜。
前の彼だったら子供達の説得なんてしないでしょうね。
ちょっと考えは強引でしたけど・・・。
リーゼのおかげかな?
まぁ、彼女がいなかったらどうなっていたか分かりませんが・・・。
成長しきってないのもまた面白いですね。
それとシリアとフォルの2人にもちゃんとドラマがあって楽しませてもらいました。
性格は似てないけど境遇は似ているかもしれませんね、この2組。
レイヴン達は持ちつ持たれつでしょうけど、フォル達は完全に尻に敷かれますね、こりゃ。
さて、レイヴン達の次の旅はどこへ行くやら・・・。
雷矢さん、どうもありがとうございました。
・・・相変わらず感想下手っすね、私・・・。

 

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